2010年5月5日水曜日

転車台(ターンテーブル)

 
昨日に引き続き鉄道関連のネタです。
「馬場丁川橋梁」に続いて2連ちゃんでねじりまんぽの「円妙寺橋梁」をと思ったのですが、昨日撮影した写真の中に他にも鉄道関連ものがありましたので、ちょっと箸休めに。

「転車台」です。
簡単に説明してしまうと、鉄道車両の向きをくるりと変える為の回転台です。(中華料理店のテーブと同じようなものです。)

用途は様々で梅小路期間区にあるような扇形車庫に汽車を納める為のものから、行き止まり線路で汽車の向きを反転させる為のものまでいろいろとあるようです。

現代では蒸気機関車のように絶対的な「前」がある車両はほとんどないので、蒸気機関車が活躍していた頃ほどは使い時が無いのではないかと思います。(電車は編成の両端に運転台があるので基本的に反転する必要がありません。電気機関車も大抵の場合両端に運転台があります。)

今回、訪れたのはJR京都総合運転所(旧向日町操車場)にある転車台で用途としては編成変更などの為に車両の向きを変える必要が生じた時に利用されているのだと思われます。


[SIGMA DP1s]

構造としては、操車場の端の線路のどん突き(京都では行き止まりを「どん突き」と言います)に転車台があります。
ここまで来た車両は向きを180度変えて、来た道を戻って行くしかありません。

僕は、横を走るJR京都線の車窓からここにある事を発見しました。



[SIGMA DP1s]

脇の道路から見ると、一段高くなった回り舞台のように見えます



[SIGMA DP1s]

手前にある単線の線路は奥に見えているトンネルでJR京都線の下をくぐり、京都線の上り線路に接続しています。
向日町操車場はJR京都線の東側に位置しているため、上り線から操車場に入るには下り線を横断する必要がある為に、この線路があるのではないかと想像します。

今現在、日本中にどれくらいの数の転車台が残っているのかは解りませんが、単純な行き止まり線路の終端に機関車の方向転換の為に設置されていた転車台は、いずれ消えて行く運命にあるのではないかと思います。


ちなみに、続けざまに鉄道ネタを書いてしまいましたが僕は「鉄」ではありません。


 

2010年5月4日火曜日

斜拱渠(ねじりまんぽ)

 
「ねじりまんぽ」という構造をご存知でしょうか?
どうも「斜拱渠」という漢字を書くようですが、定かではありません。

どういうものかを簡単に表現してしまうと、レンガ積みのアーチ天井を持つ橋(トンネル)で、そのアーチが地面に対して水平に積まれているのではなく斜め(ねじれた状態)で積まれているアーチ構造です。

なぜ、そのような構造かというと、上を通る橋に対して下のトンネルが斜めに交差している場合に用いられる工法だそうです。


[こんな感じにアーチがねじれている]

どういう訳か西日本(関西)でよく使われた工法だそうで、現存する29カ所のうち26カ所が岐阜県よりも西に存在しているとの事です。

唯一メジャーなものとしては、京都蹴上のインクラインをくぐるトンネルが有名です。

レンガ造りのアーチという事もあり、大半が明治時代に作られたもので、おまけに鉄道の下をくぐる小道や水路用トンネルとして作られたものが多いため、とても美しく構造的に面白く、見た目にもインパクトの有る遺構であるにもかかわらず、2、3の特例を除いて世間からは無視されています。

そんな「ねじりまんぽ」の一つがうちのすぐ近所にあると知り、DP1sと三脚(?)をもち訪ねてみました。(といっても家から自転車で10分とかかりません。)

「馬場丁川橋梁」これが目的のねじりまんぽの名称。
元ネタのサイトでは、いまひとつ場所が定かでは無いようでしたが、写真の場所に見覚えがあったのでその場所に行ってみました。

JR京都線(東海道本線)の下をくぐる小さな水路トンネルであるため入口(出口)は当然、水路となっています。
おまけに一般人が見学する場所ではない(本来人が通る為のものでもない)ため入口はありていに言ってしまうとドブです。

[馬場丁川橋梁 北側入口 ①]


[馬場丁川橋梁 北側入口 ②]

入口上の数字「1962−7」はこの水路の管理番号なのか?ひょっとすると1962年7月にこの部分が作られた事を示しているのかもしれません。だとしたらこのコンクリート製の箱も僕よりも年上です。

目的のねじりまんぽは明治時代のものなので、一見この入口は関係無さそうに見えますが騙されてはいけません。明治時代の東海道本線は複線(上り下りそれぞれ1本)でしたが、現在のJR京都線は複々線(上り下りそれぞれ2本)+貨物支線(1本)なので線路の幅が2倍以上になっています。
それに合わせて水路トンネルも長くなっているはずなので、北側もしくは南側、場合に寄っては両方に延長部分があるはずでそれらはレンガ造りでは無い比較的最近のもののはずです。

という訳で、とにかくトンネルに入ってみます。

ありました! やっぱり!!

入口部分は無粋なコンクリートのハコでしたが、途中からレンガ造りの綺麗なアーチになっていました。

[コンクリートBOXとレンガアーチの接合部]


[間違いなくねじりまんぽ]


[ねじりアーチ(レンガ)と基台(石積み)との接合部]


[天井部分のねじれアーチ]

綺麗です、本当に美しい構造です。
四角いレンガで丸いアーチが造られているだけでも凄いのに、このトンネルは奥行き方向にも螺旋構造になっています。

基台は水平な石積みで壁面+天井部分のアーチだけが螺旋状にねじれて積まれています。

こんなに美しい遺構が人知れず線路の下に眠っているなんて全く考えた事もありませんでした。
トンネルの中はとても静かで(時々上を電車が通ってもさほど大きな音はしません)さながら異空間でした。

明治時代という事なので120年くらい前に造られたアーチという事になるはずですが、とてもそうは思えないくらい綺麗に残っています。
風雨、日照にさらされず気温変化の少ない地中でかつ、この水路は普段水が流れていないという好条件故にこの保存状態なのだと思います。

この馬場丁川橋梁はほとんど人に知られていない構造物ですしJRからすれば山ほど有る水路トンネルの一つにすぎません。

こういった先人の技をとどめる遺構が人知れずどんどん壊されて行くのがとても残念です。


[何故かアーチの途中に石の梁?]

この、梁状の構造物のため入口から覗くと、内部はアーチ状に見えず、通しで四角いトンネルのように見えます。


[南側 入口]

南側の入口は上の写真のような感じで、おまけに小さな畑の片隅です。こんなの絶対に解りません。

「馬場丁川橋梁」という名称自体「?」です。
正直、「橋梁」とは思えませんし、「馬場丁川」といわれてもこの普段水の無い水路が名前の有る川だとはとても思えません。

昔はそれなりの小川だったのか「馬場丁川」という地名があったのか謎ですが摩訶不思議な感じです。


[ストロボを使用せず長時間露光(15秒)で撮影]


「馬場丁川橋梁」の螺旋アーチの美しさに感動してしまい、この後、少し離れたもう一つのねじりまんぽ「円妙寺橋梁」まで足を伸ばしました。

自転車で1時間ほどの道のりですが、天気もよかったので散歩がてらいってしまいました。

「円妙寺橋梁」のレポートはまた次回。

写真は全てSIGMA DP1sで撮影しました。


最後に「馬場丁川橋梁」ですが、JRの立ち入り禁止区域になっていないとはいえ、本来、人が通り抜けるようになっている訳ではありません。

螺旋アーチの構造は綺麗に残っていますが、しょせんは長いドブ川トンネルの中ですので観光気分で侵入するべき場所では無いと思います。(当然、ゴミ、クモの巣、虫、あまり気持ちのよくない生き物などなど居ますし、内部はそれなりに異臭のする空間です。写真を良く見てい頂くとわかりますが、妙なもの一杯天井からぶら下がっています。この水路も農業用水路の一部だと思われるので、水門の開閉で突然、水が大量に流れて来る事もあると思われます。)


ねじりまんぽを紹介した素敵な動画がYoutubeにありました。




 

2010年5月2日日曜日

DP1sの 画(え)について

 
SIGMA DP1sというデジカメは、正直、色々と欠点、難点のあるデジカメです。

まず、使う人を困らせるのは、様々な操作に対する反応の遅さです。
特に撮影後のメディアへの書き込みにかかる時間はメガピクセル化されたころのデジカメといい勝負でRAWの場合は1枚あたり10秒弱かかります。

また、背面に搭載された液晶の色の悪さは最近の1万円台のコンパクトデジカメにも劣ります。


しかし、このカメラにとってそんな事はどうでも良い事だと思います。
そう言う点が気になる人はこのカメラを買ってはいけません。絶対に満足出来ません。

このカメラは画質が命のカメラです。それも、誰がいつどんな風に撮ってもカメラが自動的に補正して高画質といった類いのものではありません。
フィルム時代のカメラと同じでカメラ(フィルム)の持つ特性を、使う側が試行錯誤して引き出す必要があります。

一生懸命考えながら、撮影対象や条件を選んで撮って、その中の何枚(何十枚?)かに一枚、自分の写真があれば良いといった使い方に向くカメラではないかと思います。
また、DP1sはその試行錯誤のプロセスを趣味として楽しめる人の為のカメラではないでしょうか。


下の写真はJR京都線 桂川橋梁の西詰です。
橋脚の一部は明治9年当時の煉瓦積みが残っていて鉄橋そのものも昭和3年製との事です。

一部分を拡大していますが、長い年月風雨に耐えて来た鉄橋の鉄材や鋲、塗装や錆の質感、折り重なる鉄骨の立体感、レンガの雰囲気がとてもいい感じに写っているのではないかと思います。
(部分拡大の写真は写真表示後さらにもう一度クリックすることで等倍表示出来ますので是非等倍で見て頂けたらと思います。)


[部分拡大]


[撮影画像]



こちらは新川排水機場に向かう水路内に咲く菜の花。
同じく一部を拡大しています。
手前から奥に向かって群生する草花の立体感と水面の反射の立体感がとても自然な感じだと思います。

[部分拡大]


[撮影画像]

このカメラを手にするまでjpegの圧縮のノイズはさほど気にならなかったのですが、DP1sが写し撮る「質感」を感じられるようになってから、jpeg圧縮ノイズもそれなりに画面の雰囲気に影響を与えているのだと思うようになりました。

素人の感覚的な印象なのでいい加減なものだと思いますが、僕はこのカメラを手にして久しぶりに色々なものを撮ってみたいと思いました。


 

2010年5月1日土曜日

DP1s 神戸へ!

 
[阪急三宮駅 西口コンコース]


DP1sと神戸に行ってきました。

正確には、奥様と僕の実家に顔を出しに行ったのですが、DP1s、LX3も鞄に詰めて出かけてきました。

冒頭の写真は、阪急三宮駅 西口コンコースの天井です。

阪急の古い駅舎は開業当時の少々豪華な造りを留めるところが今でも少しだけ残っています。
この三宮駅 西口コンコースも昭和11年に阪急の三宮高架乗り入れ開始に伴い開業した三宮駅ターミナルビルの名残です。
震災まで阪急三宮駅は立派なターミナルビルをくり抜いて設けられた2Fホームからの発着でしたが、このターミナルビルも震災で失われ、以来、阪急三宮駅は現在も仮駅舎のままです。

かつてのターミナルビルには映画館があり、高校生だった僕は学校をさぼり、映画を観ていました。

この西口コンコースのアーチ天井とシャンデリアがかつてのターミナルビルの唯一の名残となってしまいました。

神戸、大阪の近代建築に関してはこの方のサイトがとても興味深く紹介しておられます。



[神戸モスク]

こちらは北野坂にある神戸モスクです。
現存する日本最古のモスクだそうで1935年から、この地にあるそうです。



[個人邸宅]

北野坂で見つけたとある個人邸宅、ラスターラインを基調としたコンクリート造りで、玄関ホールのひさしがこのように櫛状に設計されていました。
屋根としての機能はいかほどのものかと思いますが、とてもシャープな印象の建物でした。



[東天閣]

[東天閣]

神戸 北野坂 異人館街の西端に位置する「東天閣」(旧ビショップ邸)です。
神戸北野ホテルのほぼ向かいにいちする中華料理店で、個人的にはお勧め出来るお店です。

もう、ずいぶんと昔になりますが、うちの弟の披露宴がこちらで行われ、その席で僕は生まれて初めて北京ダックを食べました。



[北野工房のまち]

[北野工房のまち]


「北野工房のまち」は廃校になった旧北野小学校の校舎を再利用した商業施設です。
昭和6年に建てられたこの校舎は、随所に昭和モダンの意匠が施されていてステンドグラスもあります。
(写真のステンドグラスは新しいものか、別の場所から移設されたものではないかと思います。)




[日曜舎]


最後はうちの実家の近所(神戸市北区)にあるレストランの天井です(笑
微妙に対をなしている感じが面白く思え写真に収めました。

さて、SIGMA DP1sの画質ですが、ご覧頂いたようにコンパクトデジカメという分類に入れてしまうことは出来ない画質です。
若干、あまいのは僕の趣味で全てF4.0(解放絞り)で撮影している為です。少し絞ると格段にシャープになります。このレンズもコンパクトデジカメのレンズではありませんね。

東天閣の一枚目、写真中央部分の二階窓下のレリーフの立体感などは、現像した画が表示された瞬間「ドキッ」としてしまいました。

誰でもがシャッターを押すだけで綺麗に撮れるという類いのデジカメでは決してありませんが、ある程度写真の知識と経験がある人にはとても楽しめるカメラだと思います。

個性のある画を出すデジカメで、個人的にはとてもフィルムカメラに似たテイストのカメラだと思います。

撮影枚数が200枚強で、まだまだこのカメラの性格を理解出来ていないと思いますが、もっともっと色々な景色を撮ってみたいと思わせてくれるカメラだと感じています。

 

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