2013年9月22日日曜日
ホット or コールド?
一般的にハリケーンランタンと呼ばれる灯油ランプは、細かい事を言うと「コールドブラストタイプ」と呼ばれる方式のもので、今現在、普通に入手できるハリケーンランタンはこのタイプのみです。
では、他にどのようなタイプのハリケーンランタンが在るかというと、「ホットブラストタイプ」と呼ばれる方式のハリケーンランタンが古くは普通に使われていました。
この二つのタイプのハリケーンランタンですが、歴史的にはまず、ホットブラストタイプが普及し、その後で少し高級な位置づけの製品としてコールドブラストタイプが普及したようです。
時代考証と小道具の手配がちゃんとなされている映画やドラマでは、戦前、戦中頃の農村の民家などではホットブラストタイプのランタンが使われています。(裕福な家ではコールドブラストタイプが使われていたようです。)
その理由は、ホットブラストタイプの方が器具自体が安価だったのと、一旦燃焼し熱せられた空気を直接バーナーに送る仕組みだったので、精製度低い灯油(赤灯油?)でも、ちゃんと燃焼したからだといわれています。 また、結果的に再燃焼方式?になっているためか、燃費がコールドブラストタイプよりも良いように思います。
ホットブラストタイプのハリケーンランタンの外見はこんな感じです。
見ての通り、バーナーで燃焼した排気を直接バーナーに送る構造になっています。
コールドブラストタイプにあるような、上部構造物(チムニーとシュラウド)が在りません。
しかし、このタイプは燃焼後の温度の高い空気をバーナーに送るため、一次空気の酸素濃度が低く燃焼効率が悪いため、明るさはコールドブラストタイプの方が上です。
さらに、一次空気の酸素濃度の低さを補うためか、バーナーの周囲にも空気穴が開けられていて、そこから直接風が吹き込んでしまうために、コールドブラストタイプと比べると非常に風に弱い構造になっています。
炎の燃え方も、コールドブラストタイプと比べるとゆったりとした燃え方をします。
明るく風に強く、そして見た目も精悍なコールドブラストタイプはアウトドアには欠かせないランタンですが、少々暗く風にもめっぽう弱いホットブラストタイプは、炎の燃え方が優しく燃費も良いので、庭先や半屋外(テラスやバルコニーなど)で使うのに良いと思います。
さらに、もう一つホットブラストタイプの良いところは、コールドブラストタイプのように上部構造物が大きくないため、上方に光が良く回ります。光を反射する天井のある場所では、天井からの反射も手伝って、周囲がまんべんなく柔らかに照らし出され結構明るく感じます。
現在では、ほとんど売られていないホットブラストタイプのハリケーンランタンですが、DIETZ 10という製品(大陸製です。)が江戸川ランプで入手可能です。(数量限定)
物が大陸製で調整が極めていい加減なため、入手される場合は、購入後に自分で細かいところを調整をする必要があります。
特に、ホヤ(火屋)のガード(×に見えている真鍮線)が、購入状態では低い位置になっているため、取っ手が倒れた際にホヤを直撃し割ってしまう恐れがあります。上手くガードを立ち上げて、取っ手が倒れた際に、ホヤを直撃せずガードに当たるように調整されることをお勧めします。(調整はいい加減ですが、作りそのものは結構綺麗です。)
マナスル 121(その2)
本来、アウトドアで使用するマナスル 121ですが、中々そういう機会に恵まれず、相変わらず家の中で使用しています。(換気と火の元には十分注意が必要です。)
マナスルは、この手の灯油ストーブとしては例外的に細かな火力調節が可能なので、煮物など弱火でコトコトと長時間かけて調理をするのに向いています。
アウトドアで手間と時間の掛かる調理をすることは少ないのかも知れませんが、家で使用する際には非常に強力です。(ギリギリまで絞ると家のガスコンロよりも弱火が可能です。)
今日は、ざる蕎麦のつけ汁用の出汁を取るのに使用しています。
鰹出汁は強火で手早くという向きもありますが、個人的には弱火でじっくりと煮出した強い出汁が好みです。
燃費が都市ガスと比べてどうなのかは不明ですが、弱火が効くという点で、わざわざ面倒な事をしている言い訳にしています。
2013年9月11日水曜日
マナスル 121
しかし、そこは趣味の世界。あえて、欠点があり、面倒なものを使いたくなるのが人情というものです。特に、僕のように山に登るわけでもキャンプをするわけでも無く、ただ、その手のガジェットを手近で使って楽しむという似非キャンパーにとって性能は二の次で、モノとしての楽しさが優先されるわけです。
正直、重たくかさばり、大きさと重さの割には火力も強くなく、なにより着火に手間が掛かりコツも必要です。ボタン一発着火で高火力のガスストーブと比べると、ほとんど良いところがありません。
でも、どうでしょう、このブラスの重厚感と、好奇心をそそられる形と機構。シルエットもなんとも柔らかな印象だと思いませんか?
さらに、この手のものはほとんどが大陸製となってしまっている昨今、このマナスルは純国産、葛飾柴又の職人の手による逸品です。
本当は、キャンプに行ってアウトドアで迎えた朝に、このマナスルで珈琲を淹れたいのですが、なかなかそのような機会に恵まれず、今のところ家で食後の珈琲を淹れるのに使用しています。
僕の使用しているマナスル 121はシリーズ3兄弟のまん中で、更に小型のマナスル 96という弟分があり、こちらはかなり小型になっています。また、一回り大型のタンクを持つ兄貴分のマナスル 126というモデルもあります。
121と126はタンクの容量以外は基本的に同じ仕様ですが、96はバナーヘッドが小型で、非常減圧弁が装備されていません。
2013年4月8日月曜日
たかが牛丼、されど牛丼
唐突ですが、牛丼について個人的な思いを「語って」みたいと思います。
今や和製ファーストフードの代名詞、安売り外食の代名詞となってしまった牛丼ですが、僕が初めて「牛丼」という料理を知ったのは「ここは吉野家、味の吉野家、牛丼一筋、80年♪」という、例のテレビCMでした。
当時小学生だった僕は、なぜか牛丼を上等な食べ物と認識していて、いつかは食べてみたいものだと思っていました。
うちの実家に外食するという文化が無かったせいか、その後も牛丼に縁がなく記憶の中の最初の牛丼は高校卒業後、名古屋で就職し一人暮らしをするようになってから上前津にある吉野家に行ったのが一番古い記憶です。
当時はまだ牛丼安売り戦争に突入する前で、並盛りが一杯400円前後だったと記憶しています。
一人暮らしを始めてからは、手軽さゆえに牛丼は主要な食事の一つとなりました。
それでも、一杯400円は高卒の給料に対してはそれなりに高価だったので、週2、3回といった頻度では無かったかと思います。
その後、専門学校に在学していた4年間(友達より1年長い)は、深夜の夜食の定番となりました。
当時、京都の牛丼界は「なか卯」「吉野家」の二大勢力に支配されていて「すき家」「松屋」は全く知りませんでした。
僕はどちらかというとなか卯の味の方が好みで、10回中、7、8回は同志社大学裏のなか卯に通っていました。深夜、街灯がほとんど無く暗い相国寺の境内を横切り、烏丸通り沿いのなか卯に行く道のりは少々スリルがありました。
当時のなか卯は割り箸ではなく竹箸(もちろんリユース)を使用していて、他の外食店がほぼ例外なく割り箸を使用している時勢だったので印象に残っています。
そうこうしているうちに、「牛丼安売り戦争」が始まり、牛丼の価格は並盛り一杯200円台前半まで下がっていきました。
バブル経済崩壊後の安売り合戦で、全チェーン共通で牛丼の味は落ちたと個人的には感じています。
個人的にですが、すき家の味は全く好みではありません。(肉に独特の風味がありそれが好きではありません)
現在、京都では「すき家」「松屋」「吉野家」「なか卯」の4大チェーンがしのぎを削っていますが、個人的な味の好みは吉野家がダントツで一番です。
昔、ゼンショーに買収される前のなか卯が一番好きな味でしたが、現在のなか卯の味は当時のものとは別物です。
牛丼に限らずですが、個人的に「安い=良い」とは考えていません。
そんな訳で、僕は今でも吉野家が贔屓な訳ですが、吉野家に不満も感じています。
それは、味のバラツキが有ることです。安売り戦争前の吉野家や、なか卯では余り感じることの無かった味のバラツキが今の吉野家には有ります。
原因は安売り戦争で疲弊していると言うよりは、店員の教育(業務に対する習熟度)の問題だと感じています。
ご飯の焚加減、盛りつけのバランス、丼に掛かった出汁の拭き取りなど、店員の業務に対する丁寧さが安定していないと感じます。
牛丼が目の前に出てきたときの印象と、味はおおむね比例します。
盛りつけのバランスが悪く、丼が出汁でベタベタした状態で提供された牛丼は、肉の加熱具合もご飯の焚加減もいい加減で出汁の塩梅も悪く美味しくないものです。
吉野家が他のチェーンよりも値段が高いのは個人的にはOKです。
でも、美味しくないのはよろしくないと思います。
「昔の味」のなか卯なき今、吉野家には頑張ってもらいたいと思っています。