実は僕、銭湯好きだったりします。
家の風呂がとても小さく狭いので、時々大きなお風呂にゆったり入りたくて立寄り温泉や銭湯に行きます。
京都市内は比較的銭湯が多く残っているので嬉しいのですが、徐々に廃業してしまう銭湯が増えているのも厳しい現実です。
そんな中、七条通りの延長に伴う立ち退きで、少しだけ場所を移動して新築開業したのが「京極湯」です。
銭湯を取り巻く状況が厳しい昨今、移転とはいえ普通の銭湯が新築で開業するなんて言うのは京都市内でもめったにあることではありません。
移転に伴い少し狭くなりましたが外湯(露天風呂?)もあり、なかなかくつろげる良い銭湯です。
こういった懐かしいものも残っています。
新しく綺麗な脱衣場にこれがデンと構えている様は、スーパー銭湯などを見慣れているとちょっと不思議な感じもします。
ロビーにはお約束のこれもあります。
冷やし飴や、ラムネといった懐かしい飲み物もあります。
50円~100円という安さです。
風呂上がりのばーちゃん達が世間話をしている横で僕は冷やし飴を頂きました。
隣の空き地でじゃれ合う猫の親子。
とても可愛い。親猫はしかり僕に警戒していますが子猫は無邪気に母親にじゃれついていました。
風呂上がりにこういう光景を見られる銭湯ももう少なくなりました。
どこへ行くのでしょうね、この国は。
4 件のコメント:
東京でも銭湯や古い大衆酒場は減り続けています。銭湯で一風呂浴びて、大衆酒場で一杯引っ掛けてから帰る。大げさにいえばこれは庶民のひとつの文化だったと思います。効率優先主義のもたらす結果は目に見えていると思うのは私だけでしょうか・・・
>hoppymanさん
効率追求と薄利多売、みんなが同じ贅沢を求め、安いものに飛びつく。
僕もそういう薄っぺらな贅沢主義がもたらす結果はもう、十分に実証・提示されていると思います。
人間みな平等とは言っても、それぞれ環境も置かれている立場も違うのですから、それぞれの幸せ、贅沢があってしかるべきだと思います。
僕は庶民なのでhoppymanさんの言われるような文化、贅沢を大事にしたいと思います。
我々はどこで間違ってしまったのでしょうね?
「趣味の写真」でも、過剰なまでに「わたしらしさ」を追い求める結果、皮肉にも「すでにある写真のいずれかのタイプ」に落ち着いてしまっている写真のなんと多いことか。特に私のような女性の撮る写真は。
現実味の無い薄っぺらな世界を演出するより、今自分のいる国や環境下の文化伝統をもっと勉強することからやり直すべき。。。
などなど、とりとめも無く考えています。
本当にこの国の人々はそれぞれの世界でそれぞれに進むべき道を見失っているように思えてなりません。
>ちぇるさん
写真に写る景色は撮影された瞬間ですが、写ってるものそれぞれには少なからず歴史があるわけで、その歴史を踏まえて撮るのとそうでないのでは違いが出てくるのではないかと思います。
Web上ではちぇるさんの言われるとおり、演出100%の雰囲気最優先の写真をよく拝見します。
写真を自己表現と考えればそれも素敵な作品だと思います。
僕は自分が見たものの感触を残しておきたいという思いから写真を撮ることが多いので、写すものについて少しは知っておきたいといつも思います。
僕にとっての写真は、その写真を撮ったときの感じや気持ちを、後日思い起こすためのキーみたいなものです。
自分の見ているもの、おかれている環境について出来る限り知っておいてからシャッターを押すというちぇるさんの考え方、僕もそうありたいと思います。
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